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観光会社に就職したつもりが、、回顧録 [生活]

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記事に対してのコメントは大歓迎です(^^)/

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第六波が近づいてきた?

これで酒はダメ、時短となったら

飲食も、居酒屋もとどめをさされてしまいます

先日、電車に乗った時に感じた事

わたしはドア側の端の手すりのある席に座っていました

その真横というか真上で、男女若いカップルが大きな声でおしゃべりしています。

マスクはしていたものの、布マスクで

これは飛沫を頭からかぶってしまう、と思い席を移動しました

都心のバス電車は、密になるのでおしゃべり禁止してほしいなあ

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今日は、東京も雪になるかも、という寒い日なので、どこもでかけません。


うんと昔の思い出を綴ります


その昔、今の求人サイトなんてなくって

仕事を見つけるのに、新聞の求人欄というのが大きな情報網でした

そこを見ていたら、

「湯島観光」
事務員募集・昼11時30分から20時30分
給料 45000円 学歴・年齢・性別不問
勤務地は池袋から徒歩10分

新聞の求人欄というのは、3行くらいにぎゅっと情報を詰め込んでいます。

これは当時の事務職では破格の給料です

その頃の事務職は20000円くらい
50年も前の話なので

朝が弱かったわたしにはこの勤務時間がナイスです[ハートたち(複数ハート)]

こんな時間帯の事務職、見た事ありません[ひらめき]

それで電話して面接に行くことにしました

池袋からロサ会館通りを突き抜けて、

歩いて行くと、住宅地に入り、こんなところに会社?という光景になってきました。

たしか看板もなかった、普通の住宅が会社でした[たらーっ(汗)]
あとでわかったのは、そこは社長の元住居だったそうです。

面接は、お腹の大きな30歳くらいの女性で

わたしは即採用になりました。

そこで何をする会社か、すぐにわかりました。

社名は湯島観光といいましたが、

池袋、新宿、横浜などに8店舗持っているキャバレー、クラブの経営の会社だったのです。

毎日の事務仕事は、昨夜の売上金と伝票照会
当然このころは全部現金です

そして、その売上の中から、各自のキャッシュバックの計算

金額はさだかではないですが、1000円の飲み物を客にご馳走された場合は100円とか、、規定通り計算して薄いペラペラの茶封筒に、明細とともに詰めて、店名と名前を表書きに。

その日の16時頃、各店長がとりにきてすぐに配るようでした。
キャバレーだけで、クラブはなかった気がします

そして、毎日各店舗の売り上げを棒グラフにしたり

わたしは、そのお腹の大きい責任者の金銭面での手伝いがほとんどでした。そろばん3級だったしね

気に入られたのか?金銭能力を認められたのか

2回目の給与は、5000円昇給しました[わーい(嬉しい顔)]

社長は毎日のようにちらっと顏を出し

多分、そのすじの人?迫力あり、刑務所にも入っていたとか、店長をなぐって今、警察とか、真偽はさだかではなかったですが、とても短気で気分屋でしたので、毎日くると緊張していました。

責任者の女性は、とても賢そうでおだやかで優しい方でしたが、働いているうちに、だんだんわかって来た事は、その女性はどこかの店舗の接客女性で、社長が手を出して妊娠していたという事、社長には奥様はもちろんいるけれども、各8店舗には1人づつ愛人がいるというらしい

そんな日々の中、給与明細などみていると、

ナンバーワンの人などわかってきて、源氏名しか知りませんが

こゆきさん、今月売上すごいなあ

勝手に応援したりしていました[ぴかぴか(新しい)]

そんな中、むかし池袋の「ふくろ祭り」というのがあって

池袋中のお店から、女神輿が何基もでるのです

わがキャバレーも、スタッフさんが事務所ではっぴに着変えたり化粧をしたり、神輿に花をつけたり

こゆきさんに、その時初めて会って

名前と売上から、想像していた人物像とはちょっと違った美人ではない庶民的タイプだったのを記憶しています

そしてその後、こゆきさんが連絡とれない、行方不明という電話が事務所に入り、

店長と駆け落ちといった事実が判明

店長の奥様からの電話とか、対応に追われましたが、それっきりそのさわぎは日常茶飯事的に忘れ去られました。


一度だけですが、六本木かどこかのクラブに

会計が休んだので、やってくれないか、という要請がありました。

給料とは別に5000円(この頃の物価は喫茶店コーヒー80円くらい)

そしてハイヤーで送迎するというので

喜んで?行きました

本当に会計ブースから全く出ずに、高級店だったので優雅に仕事をしました。

ただ、会計後「コウキュウリョウシュウショ、下さい」

と言われた時はなんの事かわからず、

店長に聞いたのだと思いますが、

どうも、あの時代の正式な領収書の事でなんかおごそかな、複写の面倒くさそうな領収書用紙に金額を記載しました。


お腹の大きい事務所の責任者のご両親が

田舎から出てきたとき、それこそ事務所全員
といっても6人くらい

ハイヤーと、社長の運転手付き車で、

横浜のレストラン?に行きました

そこで又、多分横浜の店の接客女性10名くらいと合流し、広い個室でお食事会でした。

当時20歳くらいだったわたしは、食事など覚えていないのですが、その店のきらびやかさと、長テーブルの王様の位置の社長のみ記憶にあります。


今もわすれられない経験です


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